石井孝法 95

「柔道を再考する」では書ききれなかったことを。

第2回
「柔道は海に似ている」

昔…増田俊也さんだったか中井祐樹さんだったか…
武道とは?スポーツとは?という感じで議論があったような記憶があります。
その点に関する私の考えも少し。

柔道は海に似ている。

海は目的地への行き方を考えさせてくれる。
そして考え方を育ててくれる。と。

しかしながら、
海が「こうやるんだよ。ああやるんだよ」とか
何かを教えてくれるわけではありません。

やはり、教えてくれるのは人なのです。
ある人は「泳ぎ方」を。
ある人は「船の作り方」を。
またある人は「地図の読み方とコンパスの使い方」を。

そして、海に出て目的地へ行くことに挑戦することで、
人は成長すると思います。

この何かを教えてくれる人が教育者でありコーチであり。
海に出て失敗すると一緒に考えてくれて、
自分の足らなかったことを改めます。

こういう点からも
「柔道は海に似ている」と感じるわけです。
柔道そのものは何かを教えてくれるわけではありません。
ですので、柔道をやっている人が全て成長して
「良い人」になるとは限らないわけです。
ただ、海に飛び込んだ、というだけで、
何かを教えてくれる「人」が必要です。

では、
何も知らずに海に飛び込んだら。。。
それは
「死」を意味します。

無知は「死」を意味するのです。

この点も柔道はよく似ています。

「受け身」の仕方
「参った」の仕方

を知らなければ

腕を挫かれ
首を絞められ
畳に叩きつけられ
死につながるかもしれません。

それは、何も知らずに海に飛び込むことと同じなのです。

だからこそ
学びに真摯に向き合わなければなりませんし
真剣に考えて実践することを続けなければなりません。

この点は他のスポーツとは異なるかもしれません。

「柔道」=「危険」という話が膨れ上がり、
脳震盪・頭部外傷の問題から、すべてのリスクをなくそうと動いています。
競技スポーツという形に「はめ込め」ばしょうがないことかもしれません。
学校管理下という形に「はめ込め」ばしょうがないことかもしれません。

しかしながら、

柔道は
目的地に向かう過程で「死(リスク)」というものと向き合うから
考えることをやめさせないし
考え方を育てると思います。

「無知」=「死」です。

だから、学ぶんだと思います。

もし、目的地にたどり着けなかったとしても
真摯に取り組めば、何かを得ているのではないでしょうか。

柔道は
「スポーツ」なのか
「武道」なのか

私にとっては愚問で
柔道は
ただ広くて
ただ深い

そして形のないもの
(自然のように変化するもの)

だと思ってます。

誰かが考える「スポーツ」という形に「はめ込もう」としているのでは…
誰かが考える「武道」という形に「はめ込もう」としているのでは…
誰かが考える「安全な学び」という形に「はめ込もう」としているのでは…
と。

柔道は海に似ている…

いや

柔道は海である

と表現してもよいかもしれませんね。

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