贈る言葉

先月のブログで報告がありましたように、平岡拓晃が現役を引退し、3月末をもって了徳寺学園を退職しました。

拓晃とは2度のオリンピック、3度の世界選手権を共に戦いった戦友で、その分たくさんの思い出が込み上げてきます。

中、高校時代からゆくゆくは日本を代表する選手になると期待され、大学でも若手のホープとしての成績を残し、了徳寺学園の門をたたいてくれました。しかし、入部してすぐの選抜では準決勝で敗れ、その後のアジア選手権では格下の選手に不覚を取るという厳しい結果が続きました。

しかしどん底を見た拓晃の覚醒はここから始まり、嘉納杯優勝、フランス国際優勝、そして選抜体重別初制覇と一気に北京五輪代表の座を掴み取りました。その後のアジア選手権でも優勝し、金メダルを目指して臨んだ北京の舞台では膝の怪我もあり、初戦敗退と無念の結果に終わりました。

しかし本当の戦いはここからで、五輪での結果に対する凄まじいまでのバッシング、そして本人、身内を襲った病気と与えられた試練は想像を超えるものとなりました。

けれどこの状況から逃げることなく、真っすぐに挑み続け、翌年の世界選手権では2位、次は3位、そしてロンドン前年の世界選手権でも2位と常に表彰台に上り続けました。国内でも選抜大会を5連覇し、2度目の五輪の舞台への挑戦権を獲得しました。北京で敗れた際に誓った「五輪の借りは五輪で返そう」との思いを晴らすべく、2度目の戦いに挑み、金にこそ届きませんでした4年越しの価値ある銀メダルを獲得してくれた光景は、今でも鮮明に蘇ってきます。

北京からロンドンの間にも大きな怪我をし、手術も受け、満身創痍ながらも挑み続けた姿は、多くの者に大きな勇気を与えてくれたのではないかと思います。

現在は博士号取得、そして後輩たちの指導としっかりとした土台を作るべく頑張っています。世界一の頂にはあと一歩届きませんでしたが、その届かなかった思いが、今後指導者として大きなエネルギーになると思います。

素顔は子煩悩で人懐っこく、涙もろい一面を持つ、良いお父さんです。了徳寺学園の屋台骨を支えてくれていただけに、寂しい気持ちが強いですが、今後も同じ柔道に携わるものとして、刺激しあっていければと思います。

お疲れ様でした!そしてこれからもよろしく!

監督

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